Freitag, 16. Oktober 2015

『 金日成著作集 』 と『 金正日選集 』 -- 注釈集

『 金日成著作集 』 と『 金正日選集 』 -- 注釈集

注 釈 集


 出典は、『金日成著作集』と『金正日選集』(発刊は、いずれも朝鮮民主主義人民共和国外国文出版社)。

あ     い     う     え     お
       
か     き     く     け     こ
       
さ     し     す     せ     そ
       
た     ち     つ     て     と
な     に     ぬ     ね     の
       
は     ひ     ふ     へ     ほ
       
ま     み     む     め     も
       
や     ゆ     よ
       
ら     り     る     れ     ろ
       



 新たな農業指導体系  農業生産にたいする技術指導を強化し、経営活動を計画化、組織化できるよう、農業を企業的方法で統一的に指導する専門的な農業指導機関の体系。この体系の基本は、郡協同農場経営委員会である。新たな農業指導体系の創設は、社会主義農村の変化した現実に即して農業指導体系を改編し、農業発展の熟成した要求を解決するための画期的な措置であった。


 この体系は、農業機械作業所、農機具工場、潅漑管理所、家畜防疫所など、農業部門に奉仕するすべての企業所と技術設備、技術陣を統一的に掌握して企業的方法で指導できるようにし、国家の技術・経済援助を強化できるようにする。


 安美愛 共和国英雄。1929年慶尚南道宜寧郡に生まれる。祖国解放戦争の時期、人民軍が南朝鮮を解放したとき義勇軍として入隊し、看護婦となる。1951年5月、敵機の爆撃で軍医所の病棟が危険にさらされたとき、多くの患者を救出し、敵機に機銃掃射されたとき、我が身で患者をかばって犠牲になる。息を引きとるとき、自分の党員証と党費を党中央委員会に伝えてほしいと言い残した。金日成同志は彼女に「党の真の娘」という高貴な称号を与えた。1973年10月19日、共和国英雄称号が授与された。




 一合のはったい粉 金日成将軍によって組織・指導された抗日武装闘争の時期の苦難の行軍時にあったこと。日本帝国主義者は、1938年12月初、南牌子から北大頂子への行軍の途についた朝鮮人民革命軍の主力部隊を包囲、攻撃する目的で数万の兵力を動員した。特に、日本帝国主義者は革命の司令部を攻撃するために狂奔し、戦闘は毎日のように続いた。1か月ほどたってからは食糧すら切れ、数日間食事もとらずに戦闘と行軍をつづけた。


 ある日、伝令兵は、背のうの底をはたいて集めた一合そこそこのはったい粉を司令官である金日成将軍に勧めた。将軍は、そのはったい粉を伝令兵に与え、伝令兵はまたそれを将軍に勧めること数回。最後に金日成将軍はそのはったい粉を伝令兵にひとしく分け与え、自分はいちばん少ない分をとった。


 隊員にたいする金日成将軍のこのような愛情は、隊伍の統一団結を強め、類例のない苦難の行軍を成功させるうえで大きな力となった。


 1955年4月テーゼ 金日成主席が朝鮮労働党中央委員会1955年4月総会で『すべての力を祖国の統一独立と共和国北半部における社会主義建設のために』と題して示した朝鮮革命の性格と任務に関するテーゼ。


 金日成主席はテーゼで、アメリカ帝国主義の南朝鮮占領によって朝鮮革命が複雑さ、困難さをおびるようになった特殊な状況と、国内の革命情勢と社会関係にたいする深奥な分析にもとづき、朝鮮革命の性格は反帝民族解放と反封建の諸課題を遂行することであると規定し、社会主義革命を本格的におし進める方針とその実現のための具体的な方途を示した。





 M・L派 1926年4月に組織された「マルクス・レーニン主義同盟」。


 1926年秋、朝鮮共産党に潜入したM・L派は、当時党の指導部が検挙されたすきに乗じて党のへゲモニーを握った。党内ではM・L派と他の分派とのヘゲモニー争いが激化し、結局労働運動と農民運動を分裂させ、1928年共産党を破壊に導いた。


 1945年8月15日朝鮮の解放後にもM・L派は、南朝鮮で派閥争いに没頭し、その後共和国北半部に潜入して党と政府を転覆する反党、反革命陰謀を企んだ。




 『乙支文徳伝』 7世紀初、隋の侵略軍を撃退する祖国防衛戦争で高句麗人民の闘争を勝利に導いた愛国名将の伝記小説。


 612年、隋の侵略軍が300万の兵力で高句麗に侵入したとき、大臣であったかれは、前線司令官として誘引戦術と清野守城戦術で敵に甚大な打撃を与えて戦争を勝利に導いた。




 開化派 1870~1880年代、朝鮮で開花思想にもとづいて形成された政治勢力。この勢力の指導的人物は金玉均であった。


 回想記 金日成同志が組織、指導した抗日革命闘争に参加した闘士たちによって書かれた実記。


 「解放作家」 以前、文学創作の「特殊性」にかこつけて組織の統制から外れ、創作活動を無規律に、勝手気ままにおこなった作家をいう。


 「解放の千里の道」 金日成主席が祖国解放の遠大な志をいだいて1925年1月22日から2月3日まで万景台と八道溝(中国)間の百余里の区間を歩いた道のり。父が逮捕されたという知らせを受けた金日成主席は、父の志を継いで国を取りもどす闘争に立つことをかたく誓い、万景台を発って10日目に葡坪の鴨緑江のほとりに着いた。葡坪までの道のりでは、深い積雪を踏みわけ、吹雪と1月の酷寒にたえなければならず、千古の原始林を一人で通過しなければならなかった。金日成主席は、朝鮮が独立しなければ、再び帰ってはくるまいと悲壮な誓いを立てて鴨緑江を渡った。


 革命化、労働者階級化 社会主義制度の樹立後、労働者階級の党と国家が遂行すべき重要課題。革命化とは、人々の頭に残っている古い思想の影響を一掃し、かれらを革命的世界観の確立した熱烈な革命家、真の共産主義的人間にすることを意味し、労働者階級化とは、経済と文化、思想と道徳の各分野にわたって社会を労働者階級の姿に改造することを意味する。


 革命演劇『娘からの手紙』 大衆の意識化が切実な要求として提起されていた1920年代末を時代的背景として創作された演劇。


 この演劇は、ある農村に住んでいた主人公夫婦が、娘から送られてきた手紙を受け取ったものの、字が読めなくて人々の笑いものになる場面と、さまざまな人物像を通じて、学ばなくては社会的存在としての尊厳を守ることも、自己の運命をみずからの力で切り開くこともできないということを生き生きと示している。


 革命演劇『三人一党』 朝鮮の反日民族解放運動と共産主義運動に甚大な弊害を及ぼしたブルジョア民族主義者と分派分子の派閥争いが甚だしかった1920年代を時代的背景としている。


 この演劇は、架空の国の三人の政丞(大臣)が国王の死後、われこそは忠臣なりと王位争奪戦にうつつをぬかしているうちに、外国の侵略を受けて国を滅ぼしてしまう過程を芸術的に描いている。演劇は、派閥争いと分裂は亡国の道であり、派閥分子は例外なく事大的な売国奴であったという歴史の教訓によって団結の真理を示している。


 革命演劇『慶祝大会』 抗日遊撃隊の「討伐」で「勝利」したとして催した日本軍警の「慶祝宴」が、遊撃隊の襲撃を受けて「死の慶祝大会」になる場面と、日本軍を掃討して密営に帰還した遊撃隊員が戦闘の勝利を祝って催した慶祝大会の場面とを対照して、風刺的に描いた作品。同演劇は、朝鮮人民革命軍の集団的英雄主義と政治的・道徳的優越性、日本帝国主義侵略軍の腐敗相、滅亡の不可避性を芸術的に深く描出している。


 革命演劇『血噴万国会議』 「ハーグ密使事件」として知られている李儁の愛国的活動を示す歴史的事実を基本素材にした作品。主人公李儁は、日本帝国主義者が1905年に強盗さながらに強制した「乙巳五条約」によって奪われた外交権を大国の力を頼んでとり戻そうと、国王の信任状と親書をたずさえて1907年オランダのハーグで開かれた第2回万国平和会議に参加した。しかし、日本帝国主義者と、日本の朝鮮侵略を極力庇護する帝国主義者の策動のため意を達しえなかった李儁は、会場で割腹して自決することにより、朝鮮は完全自主独立国家であり、「乙巳五条約」は認めないという抵抗精神を示した。


 演劇は、外部勢力依存は亡国の道であり、民族の自主権はもっぱら自国人民の力によってかちとらなければならないということを芸術的形象によって実証している。


 革命頌歌『朝鮮の星』 金日成主席の初期革命活動の時期、民族の救星として敬慕する金日成主席に忠誠を尽くさんとする青年共産主義者と革命組織メンバーの一致した願いをこめて、革命詩人金赫が作詞、作曲した初の革命頌歌。


 この頌歌には、1920年代の後半期、金日成主席を民族の太陽として高く仰ごうとする朝鮮人民の切々たる念願と真心が反映されている。



 朝鮮の星


 暗い夜空を きらめきながら/傷つく大地を だきしめて/夜明けのときを つげる星/民族の灯(ともしび) 明星(ほし)をあおぐ


 うめく夜空を 見あげれば/涙の祖国が 目に浮かぶ/誓いもあらた 肩をくみ/民族の灯 明星をあおぐ


 にくい侵略者 うちやぶり/夜明けの陽光(ひかり) てらすとき/祖国に 春の花がさく/民族の灯 明星をあおぐ


 隠れた英雄の模範を見習う運動 金日成主席はチュチェ68(1979)年10月、いかなる名誉や功名、称賛も望まず、ひたすら党と革命、祖国と人民にたいする限りない忠実性を発揮して大きな仕事をなし遂げた人を探し出し、かれらに「隠れた英雄」という貴い称号を与え、すべての人がかれらの模範を見習うよう教えた。


 金正日総書記は1979年末、全人民が隠れた英雄の模範を見習う運動をくりひろげるという方針をうちだし、新たな大衆運動の発端を開いた。


 この運動は、社会の全構成員を模範的事実によって感化して熱烈な革命家にし、かれらの革命的熱意と創造的積極性を高く発拝させ、社会主義建設で一大高揚を起こすための大衆的運動であった。


 火線楽器 祖国解放戦争(朝鮮戦争)の時期、朝鮮人民軍の勇士たちが苛烈な戦闘に明け暮れる火線で合間合間に自分の手でつくつて奏した楽器をいう。この楽器では火線音楽会も開かれ、人民軍兵士の楽天的な生活気風と勝利の確信をさらに高めた。


 伽倻倻琴 指先で弦をはじいて奏する民族弦楽器。朝鮮の封建国家として存在した伽倻倻倻国でつくられたことに由来する。6世紀初葉、伽倻倻国の楽師として知られる音楽家于勒によって創製された。


 火曜派 朝鮮の初期共産主義運動の発展に大きな害悪を及ぼした分派の一つ。


 1923年5月に組織された「新思想研究会」が、1924年11月に「火曜会」と改称したもの。


 康盤石女史(1892.4.21~1932.7.31) 金日成主席の母。朝鮮の共産主義女性運動の指導者であり、不撓不屈の革命闘士であった。




 北風会派 朝鮮の初期共産主義運動の発展に大きな害悪を及ぼした分派の一つ。


 1923年1月、日本の東京で結成された朝鮮人留学生の組織「北星会」が朝鮮に浸透し、「北風会」と改称したもの。


 金亨稷(キムヒョンジク) 先生(1894.7.10~1926.6.5) 金日成主席の尊父。朝鮮の反日民族解放運動の卓越した指導者であり、民族主義運動から共産主義運動への方向転換の先駆者であり不撓不屈の革命闘士であった。


 金九(キムグ)(1876~1949) 頑固な民族主義の頭領で、解放前、上海臨時政府の主席をつとめた右翼政客。解放後、南朝鮮の韓国独立党の党首。1948年4月、平壌での南北朝鮮政党・大衆団体代表者連席会議に参加し、金日成主席の広い度量と包容力に感動して反共から容共へと転換を遂げ、金日成主席の民族統一戦線を支持して祖国統一のためにたたかい、1949年6月、アメリカ帝国主義と南朝鮮かいらいにとって暗殺される。


 共青 朝鮮共産主義青年同盟の略称。


 1927年8月28日、金日成主席によって組織された。


 朝鮮共産主義青年同盟は反帝青年同盟の中核的メンバーを結集した非合法革命組織であり、すべての合法的および非合法的青少年大衆組織にたいする統一的指導をおこなう最も戦闘的で、革命的な前衛組織であった。


 居住人民班 党と国家の政策を実践し、国家・社会活動を遂行し、住民の文化的な生活を保障するため、居住地域を単位に一定数の所帯で組織される我が国の国家・社会生活の基層組織。


 槿友会 1927年5月、各種の小ブルジョア的婦人団体の統合によって組織された団体。新幹会の姉妹団体。





 苦難の行軍 抗日武装闘争の時期、金日成将軍の率いる朝鮮人民革命軍主力部隊が、1938年12月初から百余日にわたり、南牌子から北大頂子へ進出した行軍。日本軍とのうちつづく戦闘、零下40度の酷寒、腰をうつ積雪と食糧の欠乏などは行軍に大きな難関をつくりだした。


 金日成将軍は、霊妙な用兵術と遊撃戦術、剛毅な革命的意志と革命的展開力、隊員にたいする肉親の愛情と隊伍の統一団結によって、かつてなく困難な行軍を勝利へ導いた。





 計画の一元化、細部化 計画の一元化は、社会主義国家の統一的指導のもとに計画化の唯一性を確固と保障する計画化システムである。一元化計画システムは、国家計画機関と各級経済機関、企業所の計画部署からなる単一の計画化システムであり、中央集権的指導と地方の創意性、プロレタリアート独裁と大衆路線を正しく結びつけた計画化システムである。


 計画の細部化は、国家計画機関が直接、全般的な経済発展と個々の工場、企業所の経営活動を密接に結びつけ、計画を具体化して、すべての計画指標を細部にいたるまでかみあわせる科学的な計画化方法である。


 計画の一元化と細部化は、相互に密接につながっており、統一されている。また、人民経済の計画化の科学性を確固と保障する重要な裏付けである。


 芸術等級 芸術創造活動の従事者に、その芸術的技量にしたがって適用される待遇等級。





 光州学生事件 1929年11月3日、日本帝国主義のファッショ支配と植民地的奴隷教育に反対して全羅南道光州で起こった青年学生の大衆的愛国闘争をいう。


 この学生運動はまたたくまに全民族的な反日闘争に拡大し、全国各地でほぼ6か月間にわたってたたかわれ、200余の各級学校の約6万の学生が参加した。


 国際親善展覧館 世界各国の国家元首と政府、革命組織、チュチェ思想信奉者、社会・政治活動家と各界の著名人士から金日成主席と金正日総書記に贈られてきた贈物を展示した展覧館。


 チュチェ87(1998)年8月現在、世界五大陸の170余力国から贈られてきた贈物のうち5万5千余点が陳列、保存されている。


 国民党軍閥 中国東北地方を支配した反動的な張学良とその一派を念頭においたもの。


 5か年人民種済計画(1957~1961年) 朝鮮ではじめて5年を期間にして立てた展望計画。基本課題は社会主義の基礎を強固にし、人民の食・衣・住の問題を基本的に解決することであった。計画は、工業総生産額上では2年半のあいだに遂行され、指標別生産計画も全般的に4年間で遂行、または超過遂行された。


 5か年計画が遂行された結果、朝鮮は植民地農業国から強固な自立的民族経済の土台をもった発達した社会主義工業・農業国に変わった。また、社会主義基礎建設の歴史的課題が立派に実現され、それにもとづいて社会主義建設が全面的に進められるようになった。


 五大革命歌劇 金正日同志の指導のもとに1970年代の初めに創作された革命歌劇『血の海』『党の真の娘』『密林よ語れ』『花を売る乙女』『金剛山の歌』をさす。




 3.1運動 1919年、日本帝国主義の植民地支配に反対し、祖国の自由と独立を求めて起こした民族あげての人民蜂起。1919年3月1日、平壌での大衆的な反日デモ闘争に端を発して起こったこの蜂起は、ソウルをはじめ全国各地と日本、中国の東北地方、ソ連の沿海州地方など朝鮮人居住地域に急速に拡大された。愛国的人民は「日本人と日本軍は帰れ!」、「朝鮮独立万歳!」を叫んで反日デモに立ち上がった。デモは3月下旬と4月上旬に絶頂に達し、5月末まではおよそ200余万人の愛国的人民が参加した。


 3.1蜂起は、日本帝国主義の野蛮な弾圧によって失敗したが、闘争を通じて英知と勇気に富んだ朝鮮人民の熱烈な愛国精神と革命的闘志を示し、侵略者に大きな打撃を与えた。


 三大革命赤旗獲得運動 全社会のチュチェ思想化の要求に即して思想、技術、文化の三大革命を力強くくりひろげ、社会主義建設を推進するための全人民的運動。社会の全構成員を熱烈な革命家にするための大衆的思想改造運動と人民経済を現代技術で装備するための集団的技術改造運動、勤労者の文化・技術水準を高め、かれらに文化的な生活条件を保障するための大衆的文化改造運動を包括する。三大革命の遂行で模範を示した単位に 「三大革命の赤旗」が授与される。


 三大技術革命 工業労働と農業労働の差、重労働と軽労働の差を著しく縮め、女性を家事の重い負担から解放するための技術革命。社会主義的工業化が実現した後の新たな高い段階の技術革命である。




 4.19人民蜂起(4月人民蜂起) 1960年4月、南朝鮮の青年学生と人民がアメリカ帝国主義と李承晩かいらい一味に反対し、自由と解放、新しい政治と生活を求めて起こした大衆的な反米救国抗争。


 4月人民蜂起は、1960年3月15日、李承晩かいらい一味の不正選挙に反対する馬山市民の闘争に端を発し、4月19日以後、南朝鮮全域に波及した。蜂起は5月8日までつづき、アメリカ帝国主義の手先である李承晩かいらい政権をくつがえした。


 4月の春親善芸術祭 太陽節(金日成主席の誕生日の4月15日)にさいして毎年平壌で開催される国際的な芸術祭。


 金日成主席の誕生70周年に当たるチュチェ71(1982)年からチュチェ87(1998)年まで16回おこなわれた。世界各国の国際・国内コンクール受賞者をはじめ、多くの名優と芸術団、サーカス団、在外朝鮮人芸術家ならびに国内の芸術家が参加している。この芸術祭は、自主、平和、親善の理念のもとに世界各国の文化人の友好と団結、文化交流の発展に寄与している。(注)1998年以降も毎年おこなわれている。


 7か年計画(1961~1967年) 朝鮮で全面的技術改造と文化革命を遂行し、人民生活を画期的に向上させることを基本課題として立てられた人民経済発展計画。計画遂行中に、アメリカ帝国主義の露骨化する新たな侵略策動によって3年間延期された。7か年計画が遂行された結果、社会主義工業国になった。


 新開放地区 朝鮮は1945年8月15日、日本帝国主義の植民地支配から解放された。当時、アメリカ帝国主義者は、敗亡した日本帝国主義の武装解除を口実に南朝鮮を占領し、かいらい政権をつくりあげた。そして、38度線を境にして朝鮮を南北に分断した。


 アメリカ帝国主義は、李承晩かいらい政権をそそのかして1950年6月25日、共和国北半部まで占領しようと戦争を引き起こし、そこに15か国の追随国の軍隊まで動員した。これがまさに朝鮮人民の厳しい祖国解放戦争であった。


 当時、アメリカ帝国主義と李承晩かいらい政権のファッショ支配下にあった南朝鮮の一部の地域が1953年7月27日に調印された朝鮮停戦協定によって共和国北半部の地域となった。この地域を新解放地区と呼ぶ。敵は戦争の最後の時期、逃走するさい、この地域の人民を強制的に南朝鮮に引き立てていった。そのため、この地域の住民構成は複雑になった。


 社会主義農村問題に関するテーゼ 社会主義のもとでの農村問題の最終的解決の方向と方途を明らかにした金日成主席の古典的著作『わが国における社会主義農村問題に関するテーゼ』を指す。


 テーゼは、1964年2月、朝鮮労働党中央委員会第4期第8回総合で、朝鮮労働党の社会主義農村建設綱領として採択された。


 主席はテーゼで、社会主義・共産主義建設における農村問題の位置と意義、その本質について明らかにし、社会主義のもとでの農村問題解決の基本原則、社会主義農村建設の基本的課題、社会主義農村建設における郡の役割と任務、協同農場の経済的土台を強め、農民の生活を向上させるための当面のいくつかの対策などについて示した。


 主体的農法 朝鮮の気候・風土と農作物の生物学的特性、田畑の実情に即して農業を科学技術的に営み、安定した多収穫を保障する営農方法。この農法は、すべての農作業を大衆の創造的知恵と力に依拠し、実情に即しておこなうというチュチェ思想の要求を具現した多収穫農法であり、農業の指導原則である。適期連作、適地適作の原則を守り、直接農作業にたずさわる農民の要求と意思を尊重することを重要な要求としている。


 『春香伝』 18世紀ごろの口承説話にもとづいて創作された小説。作者未詳。身分の低い妓生の娘春香と身分の高い両班の息子李夢竜が数々の曲折をへてついに結ばれるという物語。作品は封建的束縛に抗する男女の愛を通じて、李朝封建社会の不平等な身分制度を批判し、特権階級の専横をあばきだしており、中世小説の代表作とされている。


 少年先鋒隊 金日成主席が抗日革命闘争期に組織し、指導した少年たちの大衆的革命組織の一つ。


 1930年の秋、懐徳県五家子一帯で活動していた主席は、当地の三星学校を指導し、中核的な生徒で秘密組織である少年先鋒隊を組織した。その後、遊撃区と敵の統治区域に、半軍事組織として少年先鋒隊を組織した。


 少年先鋒隊は、日ごろから軍事訓練をおこない、歩哨、連絡、敵情偵察などの重要な任務を果たし、遊撃区防衛の任務も遂行した。少年先鋒隊は朝鮮革命の後続隊として、抗日革命闘争の強化発展に大きく寄与した。


 時調 朝鮮固有の国文詩歌ジャンルの一つ。11世紀初に発生した定型詩歌形式で、初章、中章、終章の三つの章と6つの句からなっており、詩行の韻律は3.4調、または4.4調が基本となっている。


 実学派 17世紀から19世紀中葉にかけて活躍した両班出身の進歩的な学派をさす。かれらは、空理空論を排して社会の発展に資する学問の探究をモットーとし、朝鮮の歴史と地理、言語と風習、文物制度などや当代に到達した自然科学と技術を広く研究した。これにもとづき当時の土地制度、租税制度、身分制度、軍事制度の不合理な側面の改革を説く進歩的な見解を提示すると同時に、自国の歴史や文化伝統まで無視する事大主義的立場と態度にたいしても不徹底ながら批判した。しかし実学派は、階級的および時代的制約のため、古い封建思想から脱却することができなかった。


 『城隍堂』式演劇 革命的演劇創造に関する主体的文芸理論と方針が具現された革命演劇『城隍堂』をモデルにして創作された演劇をいう。


 『城隍堂』式演劇は内容において、人民大衆をおし立て人民大衆に奉仕するというチュチェ思想の要求を具現している。


 革命演劇『城隍堂』は、「神様」や「鬼神」、仏といった神霊的な存在が世界の主人、支配者なのではなく、自主的な思想・意識をもった人民大衆が世界の真の主人であり、唯一の支配者であるというチュチェの真理を明らかにしている。


 『城隍堂』式演劇は、形式においても新しい特性を有している。その特性はまず、多場面構成形式を導入したことである。


 これは、ドラマの進展にともなって人物の性格と生活の論理に即して、一場面のなかでも時間と場所をしばしば変化させて画幅を多様かつ幅広く展開し、生活の流れも中断することなくそのまま再現できるようにする。その特性はまた、舞台美術を流れ式立体舞台美術にしたことである。これは、ドラマの進展にそって装置と背景をたえず変化させ、生活をリアルで生き生きと、幅と深みをもって描き出せるようにする。その特性はまた、音楽をせりふとともに重要な表現手段の一つとしていることである。


 初期共産主義運動 1920年代の前半期に重大な弱点と制約をもっていた朝鮮の共産主義運動。この運動は、労働者階級の卓越した指導者に導かれず、明確な指導思想、正しい戦略と戦術もなかった。また、人民大衆の力に依拠して自力で革命を進めるのでなく、外部勢力に依存して独立を達成しようとし、人民大衆を革命闘争に立ち上がらせるのでなく、大衆とかけ離れてヘゲモニー争いと派閥争い、空論に明け暮れて革命勢力を分裂させた。朝鮮の共産主義運動は、金日成主席が朝鮮革命を指導することになってから、その発展の新しい道を歩むようになった。


 種子(チョンジャ)  作品の核であり、作家の語ろうとする基本問題を内包し、形象の諸要素が根をおろす下地をそなえている生活の思想的な要をいう。


 「自衛団」 日本帝国主義が1932年から、中国東北地方で「地方の治安」維持を口実に青壮年を徴発してつくった武装組織。訓練と監督は当該地域の警察署長と分署長が担当し、遊撃隊の「討伐」と革命勢力の抹殺を目的とする日本帝国主義侵略軍と警察隊の補助力量の役を果たした。


 新幹会 1927年2月、共産主義者と民族主義者の一時的連合によって生まれた組織。


 新幹会は最初、民族改良主義に反対したが、しだいに民族改良主義者の影響下に入り、1931年5月解散した。




 戦後人民経済復興発展3か年計画(1954~1956年) 人民経済のすべての部門で、戦前の水準を回復すると同時に、社会主義工業化の基礎構築を準備する戦後はじめての展望計画。工業生産額は2年8か月間で完遂された。



 3か年計画が遂行された結果、社会主義基礎建設のための5か年計画遂行に着手できる土台が築かれ、共和国北半部の革命基地はいっそう強化された。


 正義府 1925年、10余の朝鮮民族主義団体の統合体としてつくられた反日団体の一つ。


 1928年11月、正義府は民族主義者の反日団体である参議府、新民府と統合して「国民府」となった。




 速度戦 文学・芸術創作における速度戦とは、作家・芸術家の政治的自覚と創造的熱意を最大限に引き出し、最短期間内に思想的、芸術的にすぐれた作品を成功裏に創作して、党の思想活動の要求をそのつど正しく実現していく革命的な創作原則であり、創作戦闘の基本形式である。速度戦は、最短期間内に量と質において最上の成果をおさめることを要求する。





 打倒帝国主義同盟 1926年10月17日、金日成主席によって結成された組織。(略称「トゥ・ドゥ」)



 打倒帝国主義同盟はチュチェの革命偉業を勝利に導くための前衛組織であり、朝鮮で初の真の共産主義的革命組織であった。打倒帝国主義同盟は、朝鮮の解放と独立をなし遂げ、朝鮮に社会主義・共産主義を建設し、さらにはすべての帝国主義を打倒して世界に共産主義を建設することを綱領としてかかげた。打倒帝国主義同盟の結成は、朝鮮革命の新たな出発を告げる歴史的な宣言であった。「トゥ・ドゥ」の結成により、朝鮮人民の革命闘争は事大主義、教条主義などあらゆる古い思想と決別し、自主性の原則にもとづいて前進する新しい時代を迎えるようになり、朝鮮共産主義運動と民族解放運動は正しい闘争目標と戦略戦術をもって力強く前進するようになった。


 打倒帝国主義同盟の結成はまた、朝鮮における新しい型での革命的党建設の起点となり、まさに「トゥ・ドゥ」から朝鮮労働党の栄えある根がおりはじめた。






 「治安隊」 祖国解放戦争の時期(1950.6~1953.7)、アメリカ帝国主義と南朝鮮かいらい一味が一時占領した共和国北半部地域に組織した反動走狗団体。


 『血の海』式革命歌劇 金正日同志の独創的な歌劇革命方針を具現して、人民性と民族的特性、通俗性を創作の基本原則とし、従来の歌劇の古い形式から脱却しチュチェ時代の要請に即応して創造された新しい形式の歌劇。『血の海』式革命歌劇という言葉は、1971年に不朽の名作『血の海』を歌劇化することによって生まれた。『血の海』式革命歌劇は、革命的で社会主義的な内容を盛り込み、人民音楽の基本形式である有節歌謡とパンチャン、主体的な管弦楽と舞踊、朝鮮画にもとづく舞台美術などを新しく取り入れることにより、歌劇発展の新時代を開いた。


 朝鮮人居留民会 日本帝国主義者によって中国東北地方につくられた親日団体で、日本領事館と「朝鮮総督府」の保護下にあった。



 朝鮮人民革命軍 金日成主席が1932年4月25日、中国東北の安図県で創建した朝鮮人民の初の主体的革命武力。一名抗日遊撃隊。創建当初は反日人民遊撃隊と称したが、1934年3月に朝鮮人民革命軍に改編され、1948年2月には近代的な正規武力の朝鮮人民軍に発展した。チュチェ思想を指導指針とし、先進的な労働者、農民、愛国的青年によって組織された朝鮮人民革命軍は、人民の利益のためにたたかう真の人民の軍隊であり、さしあたっては朝鮮から日本帝国主義を駆逐して民族の解放を達成し、ひいては社会主義・共産主義を建設することを目的とした。


 趙玉姫 共和国英雄。1923年黄海南道碧城郡の貧農の家庭に生まれる。碧城郡女性同盟委員長として活躍。祖国解放戦争の戦略的一時後退の時期、被占領地域で遊撃闘争を展開し、敵に痛烈な打撃を与えた。偵察任務を遂行中、逮捕されたが、革命の節操を守って壮烈な最期を遂げた。1951年3月7日、共和国英雄称号が授与された。


 チョンリマ (千里馬)運動 千里馬とは一日に千里を駆ける馬という意味で、極めて速いテンポで社会主義建設をおし進める朝鮮人民の革命的気概を象徴的にいう言葉。


 朝鮮労働党中央委員会1956年12月総会を契機に起きた社会主義建設の大高揚のなかでチョンリマ運動が生まれた。


 チョンリマ運動は、経済と文化、思想と道徳の各分野であらゆる立ちおくれたものを一掃し、社会主義建設を最大限に推進する全人民的運動であり、社会主義建設における朝鮮労働党の総路線となった。チョンリマ運動は、チョンリマ作業班運動を通じて深化、発展し、勤労者を教育、改造して、社会主義建設の高い速度と飛躍をもたらした。この過程で、社会主義建設においてあらゆる消極と保守を一婦し、ひきつづきチョンリマの速度で前進するチョンリマの革命精神が生まれた。




 テアン(大安)の事業体系 金日成主席が1961年12月、大安電機工場(現在の大安重機連合企業所)に直接出向いてつくりだした新たな社会主義経済管理形態。


 テアンの事業体系は、第1に党委員会の集団指導のもとに経済を管理運営する体系であり、第2に生産指導部署、計画部署、技術部署、工作・動力部署からなる工場参謀部を設け、技師長が参謀長としてこれらの部署の活動を掌握して統一的、集中的に生産を指導する体系であり、第3に上部が責任をもって下部に資材を供給する体系であり、第4に工場の従業員と当該地域住民への供給活動を責任をもっておこなう体系である。






 党中央委員会第4期第15回総会 1967年5月4日~8日にかけて開催された歴史的な会議。金日成同志は、この会議でブルジョア・修正主義分子の反党反革命的策動を暴露、粉砕すると同時に、その思想的毒素を一掃し、全党に党の唯一思想体系を確立すべきことについて強調した。会議では断固たる思想闘争が展開され、その過程で党内に潜入していたブルジョア・修正主義分子の反党反革命的正体があばかれた。会議は、金日成同志を中心とする朝鮮労働党の統一と団結をさらに強化し、党の威力をいっそう強め、全党と全社会を金日成同志の革命思想、チュチェ思想で一色化するうえで画期的な転機となった。


 「トゥ・ドゥ」 金日成主席がチュチェ15(1926)年10月17日、樺甸で組織した朝鮮における初の真の共産主義的革命組織である打倒帝国主義同盟の略称。「トゥ・ドゥ」の当面の課題は、日本帝国主義を打倒して朝鮮の解放と独立を達成することであった。朝鮮労働党はこのトゥ・ドゥに源を発している。


 「東拓」 「東洋拓殖株式会社」の略称。


 1908年、日本帝国主義者が、朝鮮の土地と資源を略奪する目的で設立した植民地搾取機関「東拓」は、朝鮮の多くの耕地と山林、重要な工場、鉱山、水利施設を略奪し、各種の方法を用いて農民、労働者を過酷に搾取し、金融部を設置して高利貸的搾取もおこなった。


 独立軍 1919年、3・1運動を契機に南満州と東満州、北満州で反日の旗のもとに、朝鮮の一部の民族主義者と愛国的青年、義兵闘争参加者からなる各種の民族主義的軍隊の通称。





 白頭(ペクトゥ) の革命精神 金日成主席が組織、指導した抗日革命闘争期に形成された革命精神。その内容は、金日成主席を決死の覚悟で擁護する精神、金日成主席の革命路線と命令、指示を寸分の狂いもなく実行する絶対性、無条件性の精神、いかなる逆境のもとでもみずからの力で立ち上がる自力更生の気風、不撓不屈の闘志と確固たる革命節操、革命勝利の信念と革命的楽観主義である。


 ハンビョル(一星) 初期革命活動の時期、金赫、車光秀をはじめ、青年共産主義者によってつけられた金日成主席の尊名。かれらは、朝鮮人民を暗夜から解放の夜明けに導く明星になってほしいという願いをこめて、金成柱という本名を、一星(ハンビョル)と改めて呼んだ。その後、民族の太陽になってほしいという一致した願いをこめて、金日成と呼ぶようになった。


 半遊撃区 金日成将軍の指導のもとに、抗日武装闘争の時期、朝鮮人民革命軍が設けた遊撃根拠地の一形態。半遊撃区は形式上、日本帝国主義の植民地支配下にあったが、実際は遊撃隊が掌握して指導する革命化された地域をさす。


 1930年代の前半期に設けられた半遊撃区は、遊撃区を頼もしく守る援護拠点、武器と弾薬、食糧と衣服などを解決する供給拠点、遊撃区と敵支配区域の人民間の連携を保つ中間拠点として、全般的な朝鮮革命の発展で大きな役割を果たした。


 パンチャン(傍唱) 歌劇、映画、舞踊、演劇などの芸術作品で、登場人物でない第三者が、主人公の内面世界やシチュエーション、ドラマの進行を説明し補足するために舞台や画面の外でうたう歌。


 反帝青年同盟 1927年8月27日、金日成主席によって打倒帝国主義同盟が改組されて生まれた組織。


 反帝青年同盟は打倒帝国主義同盟の闘争綱領の実現をめざしてたたかう先進的な青年学生を結集した大衆的性格をもつ非合法の青年革命組織であった。





 普天堡戦闘勝利記念塔 抗日武装闘争を組織指導する過程で積みあげた金日成主席の不滅の業績をとわに伝えるために建てた記念塔。1967年6月4日、普天堡戦闘勝利30周年にさいし、両江道恵山市に建て、除幕式をおこなった。記念塔は、風にはためく旗をかたどった赤茶色花崗石の塔身(高さ38.7メートル、長さ30.3メートル)正面の金日成将軍の銅像、塔身両面60体の青銅浮き彫り大群像(前部の高さ8.5メートル、後部3.7メートル、彫刻群像の延長78メートル)からなっている。







 許憲(ホホン) 1885年~1951年 愛国烈士。咸鏡北道明川出身。日本帝国主義の植民地時代にソウルで弁護士を務め、抗日闘士の弁護にもあたる。解放直後、南朝鮮労働党を創立して、その委員長となる。その後、共和国北半部に入り、最高人民会議議長、法制委員会委員長、金日成総合大学総長などを歴任。教育事業の発展に貢献し、朝鮮戦争の時期に死亡。






 「学びの千里の道」 金日成主席が学びの大志をいだいて11歳の幼い年に一人で長白県八道溝(中国)から万景台まできた百余里の道のり。(朝鮮の十里は日本の一里にあたる)


 主席は朝鮮の文字をいっそうよく学び、祖国の悲惨な現実を直接体験するようにという父の遠大な志を体して学びの千里の道についた。


 1923年3月16日の朝、父母と弟に見送られて八道溝を発ち、3月29日、故郷の万景台にたどり着いた。千古の原始林を通り抜け、寒風と吹雪が吹きすさぶ谷間を渡らなければならないこの学びの千里の道は、幼い金日成主席にとって遠く困難な通であった。



 「万宝山事件」 1931年7月15日、長春から約30キロメートル離れた万宝山で、日本帝国主義が朝中人民を離間させ、満州侵略の口実をもうけるために朝鮮人農民と中国人農民を衝突させた謀略事件。





 『民主朝鮮』 朝鮮民主主義人民共和国政府機関紙。チュチェ35(1946)年6月4日創刊の日刊紙。


 「民生団」 1932年2月、革命隊列を内部から破壊するため日本帝国主義者がつくった反革命的スパイ・御用団体。


 「民生団」は、日本帝国主義占領下での「朝鮮人による間島自治」のスローガンをかかげて朝鮮人民の反日闘争を切り崩し、朝鮮人共産主義者を陥れ、朝中人民を離間、対立させようと企んだ。しかし、「民生団」の正体はすぐあばかれ、大衆の強い排撃を受けるや1932年7月、日本帝国主義はその解体を余儀なくされた。


 その後、日本帝国主義は秘密裏に新たなスパイ・御用団体として「協助会」をつくる一方、革命隊列内に多くの「民生団」組織が扶植されたというデマを流した。


 この狡猾な敵の欺瞞策にのった民族排外主義者と分派・分子は、反「民生団」闘争を極左的におこなった。
 




 明月溝会議 1931年12月、延吉県明月溝で金日成主席が組織、指導した党および共青幹部会議。12月明月溝会議ともいう。


 金日成主席は12月16日、この会議で『日本帝国主義に反対する武装闘争を組織し展開することについて』と題する歴史的な演説をおこなった。演説では、遊撃戦の形式を基本として武装闘争を展開する革命的方針がうちだされ、反日人民遊撃隊を組織し、遊撃根拠地を創設し、武装闘争の大衆的基盤をきずき、朝中人民の反日統一戦線を結成し、党組織活動と共青活動を強化するうえで提起される綱領的な課題が示された。


 明月溝会議は、抗日武装闘争の端緒を開き、我が国の反日民族解放運動と共産主義運動を新たな高い段階に発展させるうえで偉大な転換をもたらした歴史的な会議である。





 李寿福 共和国英雄。1934年、平安南道順川市金川洞に生まれる。祖国解放戦争の時期に朝鮮人民軍に入隊し、1951年10月、敵が占めた122高地左側の無名高地を奪取する戦闘で敵のトーチカを胸で塞ぎ、部隊の突撃路を開いた。1952年4月10日、共和国英雄称号が授与された。


 『李舜臣伝』 申采浩が16世紀末の朝鮮の名将李舜臣について書いた伝記小説。李舜臣は壬辰祖国戦争(1592~1598)当時、全羅左道水軍節度使、三道水軍統制使として朝鮮水軍を指揮した。かれは亀甲船をつくって数百隻の敵船を撃破し、数万の敵兵を殺傷して日本侵略者の「水陸並進」計画を破綻させ、戦争勝利に大きく貢献した。


 両班と常民 両班は朝鮮の封建社会で人民大衆を抑圧、搾取した支配階級で、文官と武官がこれに属した。常民は、支配階級の抑圧と搾取の対象とされた被支配階級で、農民、手工業者などがこれに属した。






 『労働新聞』 朝鮮労働党中央委員会機関紙。チュチェ34(1945)年11月1日創刊。当初の題号は『正路』であった。


 6.3人民蜂起 南朝鮮にたいする日本帝国主義者の再侵略策動と売国的「韓日会談」に反対し、朴正煕かいらい政権の打倒をめざしてくりひろげられた南朝鮮青年学生の大規模な反帝・反ファッショ闘争。


 蜂起は、1964年3月24日におこったソウル大学校文理科大学学生のデモの継続として、同年5月20日から6月5日まで激烈に展開された。6月3日、青年学生の大衆的デモと暴動的進出は絶頂に達し、アメリカ帝国主義と朴正煕かいらい政権に大きな打撃を与えた。


『金日成著作集』と『金正日選集』 -- 注釈集
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